karariです。
たまたまと偶然の奇跡を知る旅にテーマを絞り、書き出しましたが、前記事の(チャレンジャーは父だったのかも知れない)。そこに気付けたことは自身の中で大きな発見でした
多くのはてなスターをありがとうございました
B!マークとコメントを頂きありがとうございます
こんなテーマに絞り込んだら(アクセスも読者様も更に減るだろう)と思っていたものですから、正直、驚いています。
お一人お一人に心より感謝致します
今回は盲点だった「父」に焦点を当ててみました
父は29年前に他界しています
還暦を前に定年退職し、人間ドックに入ったところ初期の食道がんが見つかり手術、切除したものの、初期の胃がんにまた手術、最期は肺がんで手術もできず、全身癌が転移してしまいました
余命一ヶ月の知らせを受け
当時、自分は東京から現在地に越して来たばかり。
子供も小学4年の息子と幼稚園年長の娘も転校・転園して間もなくのことでした
九州まで行き来するにも遠過ぎるため、二人の子供を連れて島に戻り、長男は島の小学校に一時転校(編入)させました
島には病院がなく、船で本土に渡り、更に車に乗り換えてと、遠かった為、母は泊まり込み、姉妹日替わりで病院に通いました
最期を残酷に苦しむ旅立ちなんか誰も望んでいない
当時、二度の手術をした父の身体は、表現は悪いのですが、めった切りのような傷に(何故こんな酷い目に遭わなければいけないのか)...と思い、最期にあたっても、
弟に...
長男の役割だから「これ以上、苦しまなくても頑張らなくていいよ」と、父に言ってあげて...と頼みました
「長男の役割」
使いたくない言葉を初めて使ってしまった...
ここから父との記憶はデータ更新出来ていません
・日進月歩、医学も日々進化し癌も退治できるようになり、緩和ケアも取り入れるようになり、それゆえセカンドオピニオンも重要になりました
気が短くてふざけた父だった
父は一人っ子でした。遠洋漁業に出ていたので、数ヶ月家に戻って来ない為か、近からず遠からずの関係だったような...当然、父が蚕の世話をしている姿はほとんどなく、すっかり記憶から消えていました...
盆暮れに手土産(バナナとか漫画本とか)があって、うれしかった。
普段は怒ることもなく優しかったです
・たまに会うので、ふざけてからかってくる
そうすることで空白の距離感を埋めていた?
・吞めないお酒を吞んでは具合が悪くなっていた
島での付き合い優先
父との最初で最後の喧嘩
「家で何かが(万が一の事)あった時には借金してでも帰って来い」島を出る時に父から言い渡された言葉です
それは祖父が倒れて入院した時
すでに自分は家庭を持ち長男がいました。
祖父に会いに島に戻ると、駆けつけない妹がいました(6人妹弟)
父は
「借金してでも帰って来いと言ってるのに」とブンブン怒りだしました
そんなことで怒られても、誰にもどうすることも出来ないじゃない...
「みんなそれぞれ家庭があって、家庭の事情ってのがあるんだよ!」こちらもブンスカ言い返しました
初めての娘からの反撃に父は無言になり...
次の日
「悪かったな」...と...。
そんな父が愛おしいです
盲点だった...そうか父だったのか②続きに...