ものは試し。

こころの赴くままに

そこに愛はあるのか(人のために動ける人とは

*お越しくださりありがとうございます

karariです。

 

ある時、進路問題で従兄が家出をした出来事がありました。当時、中学を卒業して高校に進学できる人は、とび抜けた成績か、とび抜けて裕福な家庭以外は、ほぼ島を出て行きます。

 

従兄も長男として跡を継ぐ為に漁師(遠洋漁業)になることが決められていたのですが、どうしても高校に進学したかったようです 

 

昔ばなしの世界

 

家を出て三日、四日...島中、手分けしても見つからない 

 

その日も、母や叔母さん(従兄のお母さん)達と一緒に捜索に歩いていた時の事です 

 

食事も摂らず、どこでどうしているのか、心配で憔悴している叔母さんに 

 

大丈夫だよ。狸が化けて牛の糞を饅頭にして食べてるよ」と大人たちは大真面目に話していました。その会話を側で聞きながら、全集中して想像していました

 

狸が 

 

化けて 

 

牛の糞を 

 

饅頭にして 

 

食べてる...

だから大丈夫って...

 

そんなわけない...狸なんか(島で)みた事もない...

 

今考えても、そんな慰めや励ましなんてあるのかと思うけれど、人知を尽くしてもどうにもならない時、キツネや狸に化かされた昔ばなしの世界を信じ、神隠しの考えもよぎったりしていたのも頷ける気がします

 

月ではウサギが餅をついている...と想像していたように...

 

従兄は一週間後、自宅の床下からひょっこり出てきました

 

床下に隠れていて、島中探し回っても見つからないわけです

 

無事を安堵すると同時に、灯台下暗しの展開に拍子抜けした失踪事件でしたが、従兄は「人騒がせな!馬鹿たれが!」とひどく怒られて、自分と同じ馬鹿たれになりました

 

ここで

 

そこまでして高校に進学したいのなら」とならないのが当時の島の時代背景なのです...

 

そこに愛はあるのか 

 

あの頃、日常的に使われていた

「馬鹿たれ」

親が子に「馬鹿たれ」と言っては虐待 

・職場や家庭で言ってはパワハラモラハラ

・クレームで言ってはカスハラ 

 

当然!当然!

 

親子であれ、こんな失礼な言葉は無いと思う。

 

だけど、時代背景がそうしたとはいえ

 

従兄に浴びせられた「馬鹿たれ」には、両親の「」があったようです。彼は後継ぎとして、高校を諦め遠洋漁業の漁師になり一家の大黒柱になっています

 

とても立派です。

 

愛情を感じ取ることができたからこそ、自分のことより家族の為に動けたのだと思うのです...

 

愛情を受けて、人は、人のため家族のために役に立ちたいと思う感情が育つのだなぁ~

 

同じ「馬鹿たれ」でも、そこに「」を感じること無く、「愛」が何なのかを知ることもなければ、育たない感情なのかもしれない...