karariです。
ブログを始めていなければ、今後も開いて見ることはなかったと思う「高校50周年記念誌」
そこには卒業生の想いが綴られていた
仕事と学校の両立を「過酷」「身を切るような」と表現されている...
そうなんだ...と、他人ごとのように思う...
これまでの経緯↓
記憶より記録
ここであやふやな記憶だった紡績工場の
勤務開始時間がはっきりしてきました
15歳〜19歳までの4年間
早番
AM4:30起床5:00仕事開始
12:00迄として7時間勤務
11:00迄としても6時間勤務
昼食 学校 4時間授業?(記憶あやふや)
いや、それは授業中寝るでしょう
遅番は学校行った後に最低でも6時間勤務
確かに過酷だったのかも知れない
定時制高校
記録によれば
- 1クラス29名~40名(幅があるのは辞めて行く人がいたから?)3クラス
- karari三年生時29名
体育祭.文化祭.修学旅行もあった
弁論大会
寮出をして補導されて、その後、弁論大会のテーマに和子ちゃんのことを書いた
和子ちゃんは寮を出てアパート暮らしを始めて大変な思いをしている。自分は寮にいて何不自由ないぬるま湯の中にいる。そんな内容だったと思う...
当時の自分に問いたい
karariよ...
その環境は本当にぬるま湯だったのか?
どこからそんな言葉や想いが出ていたんだ...
人前で話すことの恐怖
弁論大会で和子ちゃんのことを話さなければならなくなった。事前に先生から読み方、感情の入れ方の指導を受ける
当日...
全校生徒、先生を前に登壇する。緊張で右手右足が一緒にロボットみたいに動いていたに違いない。原稿を読みながら吐き気がしそうだった記憶...
結果は2位に入り込んだ
周りは喜んでくれた...
大勢の前でぶざまな自分を晒したことで最悪な気持ちだった。このことはずっと残っている
振り返り...
ぶざまな自分と当時「ぬるま湯」といった発想がどこから来ていたのかを考えると...
生まれ育った生い立ちにたどり着き、哀しくなる
衣食住足りて礼節を知る
着るものや食べるものが十分にあって初めて、人は礼儀や節度をわきまえるようになる。 生活にゆとりがないと精神にも余裕は生まれない。
今回気づいたこと
- 寮出をしたことの汚点が弁論大会や詩舞を始めたことで状況が変わって行く...
- 結局、自分自身が引き起こしていた。何もかも自分が悪い
- そんな思いを引きずって行くくらいなら、いっそグレていた方がわかりやすかった
最後までお読みくださった皆さま...
ひどく不快な内容になってしまい申し訳ありません