karariです。
テーマを絞り「たまたまと偶然の奇跡を知る旅」として綴らせて頂いて来ました...
何故、20数年前立ち上げた教室で、数々のたまたまと偶然の奇跡が起きていたのか
これまでのまとめ
- 「一主婦が立ち上げた教室」といった話題性がヒットした...ゆえに本人の知らないところで物事が運ばれていた
- ネットでいうところのバズッた一過性で終わるところ、本人も知らないところで物事が進むこともある
それは特別なことではなく、誰にでも起こりうることだったことに気付く
3.何らかの力によるものだったのか
この考えも捨てきれないのですが...
捉え方で良いのかな?と思えてきました。
それは亡き祖母や父、或いは、思いがけないところで亡き祖父が導いてくれていたのかも知れない。
むしろそう思うことで感謝の念に変えられるのなら、それで良いかな。と...
全否定していたこと
- 過去に良いことをして来たから
あまりにもおかしなことが立て続けに、それも年数を掛けて起きていたことから、なんでこんな事になるんだろう...と話していると、人生の先輩から「過去に良いことをして来たからよ」そう言ってくださる方がいましたが...
自分の過去はこんなです↓
ですから、過去に自分が良いことをして来たという説は、全否定していました
でもここで少し考えを変えてみました
例えば...
前回の記事では最近の出来事を書いています...
日常会話に注意しなければ...
ひょんなことから、ひょんなことになってしまう現象は、続いていることになります...
客観的に見ても、何故、そこで「ハーモニカ」が用意され「失敗しない本」が目の前にあるのか...
過去にも何故か詩舞の稽古↓
「美容師になりなさい」ということだって...
生き辛い
理解できず説明出来ないことが、たまたま起きるのではなく、日常的に起きる...生き辛いですよ
これまで、そうしたことを
なんとか理解しよう...
説明つけよう...としていたのですが...
おばぁちゃんになっても、こうした現象が続いていることを考えると...
あの、もしかして...
- 「過去の自分が良いことをして来たから」というより
「前世で良いことをしていた人だったんじゃないか?」と捉え方を変えてみたら...
「前世で良いことをしていた人だった」として、だったとしてですよ
その分を現世で返されているとしても、自分には身に覚えのないことだから
「いやいや、そんなことされても困るし」と跳ね返して
結果、最後には自分が痛い目に遭うパターン...
はぁ...
妙に合点がいきます...。
(勿論、今は跳ね返したりしませんが...)
今回は、このテーマをまとめて終わりにしようと思っていたのですが、散らかり放題になってしまいました(T_T)
後日、片付けます(◞‸◟)